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感覚が必ずしも頼りにならない事は

感覚が必ずしも頼りにならない事は、錯覚や幻覚、夢などを通じて多くの人が感じ取っている。また、人によっては、時間や空間のどこかに「果て」のようなものがあるとしたらその「向こう」には何が在るのか、あるいはただ無が存在しているのか、無が存在できるのか、といった素朴ながら答えがたい疑問を持つ事もある。あるいは、自分が経験している物事全てが実は夢なのではないか、自分はいつかそこから目覚めてまったく違う世界にいるのではないかという可能性も、文学や漫画などでしばしば採り上げられる。そうした考えを突き詰めると、自分が普段接している物事が本当に存在しているのか、自分が普段は存在していないと考える物事(架空の物事、信仰の対象となっているが信じていない人々には感じ取れない物事、など)は本当に存在していないのか、といった迷いを持つ事もある。

諸々の宗教の中には特殊な体験(神の顕現や悟りなど)を通じて通常の感覚では捉えられない物事に遭遇する場合もある。それに基づいて、日常感覚や一般に「科学的」といわれるような存在や現実世界についての理解が誤っているとされることも少なくない。
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哲学においては、古代ギリシアのプラトンやアリストテレス以来、存在をどう捉えるかについて様々な考え方が提出されてきた。近代の哲学者の間でも、「物自体」は決して知ることが出来ず、それゆえ、ある物が「在る」かどうかについては断言はできないのではないか、という疑問は繰り返し提起されてきており、第一級の思想家と見なされている人々の間でも意見の一致を見ていない。

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2009年09月16日 01:17に投稿されたエントリーのページです。

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